忍者ブログ
  • 2025.04
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 2025.06
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2025/05/06 08:52 】 |
マイケル・シクルナ
"バロン" マイケル・シクルナ("Baron" Mikel Scicluna、1929年7月29日 - 2010年3月20日)は、マルタ共和国出身のプロレスラー。元WWWF世界タッグ王者、WWE殿堂者。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]

カナダに移住後、1950年代にオンタリオ州トロントにてデビュー(当時のトレーニング仲間にはワルドー・フォン・エリックらがいる)[2]。マイク・バレンティノ(Mike Valentino)をリングネームに、1960年代前半までカナダやNWAサンフランシスコ地区を主戦場に活動した。
1965年にニューヨークのWWWF(現在のWWE)に進出し、バロン・マイケル・シクルナ(Baron Mikel Scicluna)と改名。マルタ十字の施されたマントをまとった大型ヒールとして頭角を現し、1966年1月24日にマディソン・スクエア・ガーデンにてブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に初挑戦、マルタ式背骨折りでサンマルチノを半失神に追い込んだ[3]。同年9月22日にはスマッシャー・スローンとのコンビでジョニー・バレンタイン&アントニオ・パリシーからWWWF USタッグ王座も奪取している[4]。
1967年11月には日本プロレスに初来日。日プロには1968年2月にも再来日している。同年はオーストラリア(ジム・バーネットが主宰していたWCW)にも遠征し、6月15日にシドニーでスパイロス・アリオンを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得した[5]。
1970年代に入ると再びWWWFに参戦し、キャプテン・ルー・アルバーノをマネージャーにキング・カーティス・イヤウケアと "キング&バロン" のタッグチームを結成。1972年2月1日、カール・ゴッチ&レネ・グレイの独仏コンビからWWWF世界タッグ王座を奪取し、第3代の王者チームとなった[6]。
王座陥落後の1972年6月には国際プロレスに来日。翌1973年3月と1974年8月には全日本プロレスに参戦している。1973年の来日時は『チャンピオン・カーニバル』の第1回大会に参加。トーナメント1回戦でサムソン・クツワダを下したが、2回戦でザ・デストロイヤーに敗退した。
以降もWWWF / WWFを主戦場に、1976年6月1日には、モハメド・アリがゴリラ・モンスーンに喧嘩を売ったアングルにおいてモンスーンのジョバーを務めている(アリは同月26日にアントニオ猪木との異種格闘技戦が決定しており、そのプロモーションとしてWWWFのリングに登場した)[7]。
1978年4月には当時のWWFの提携ルートで新日本プロレスに初参戦し、『MSGシリーズ』の第1回大会に出場。すでに体力的なピークを過ぎていたこともあり決勝リーグ進出は果たせなかったものの、予選トーナメント1回戦ではチーフ・ジェイ・ストロンボーとの本場MSGでの定番試合が実現している(このストロンボー戦に敗退後、敗者復活戦の1回戦でマーティン・ジョーンズ、2回戦で藤原喜明を破り勝ち進んだが、決勝リーグ進出を賭けた3回戦で坂口征二に敗れた)。
その後も中堅ヒールのポジションでWWFに定着し、ベテランのジョバーとして活動。1984年の現役引退後はWWFの重要拠点の一つだったペンシルベニア州フィラデルフィアに居住し、ニューヨーク・タイムズのトラック・ドライバーの職に就いた[2]。1996年にはWWF殿堂に迎えられている。
2010年3月20日、癌のため死去[2][8]。80歳没。
得意技 [編集]

マルタ式バックブリーカー
変形のカナディアン・バックブリーカー。ブッチャー・バションやネイル・グアイらが得意としたハングマンズ・ホールド(ハングマンズ・ネックブリーカー)にも類似しており、相手の脇下から首の部分に両手を回し、自分の頭を相手の背中に押し付けるようにして担ぎ上げる怪力技である。ブルーノ・サンマルチノを半失神に追い込んだ1966年1月24日のMSG定期戦では、チョーク攻撃と見なされ反則負けを取られた[9]。
獲得タイトル [編集]

WWE
WWWF USタッグ王座:1回(w / スマッシャー・スローン)[4]
WWWF世界タッグ王座:1回(w / キング・カーティス・イヤウケア)[6]
WWF Hall of Fame:1996年度(プレゼンターはゴリラ・モンスーン)
その他
NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):1回(w / Gene Dubuque)[10] ※マイク・バレンティノ名義
IWA世界ヘビー級王座(オーストラリア版):1回 [5]
IWA世界タッグ王座(オーストラリア版):1回(w / サイクロン・ネグロ)[11]
PR
【2011/01/06 20:17 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
<<スコット・ビガロー | ホーム | バグジー・マグロー>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿














虎カムバック
トラックバックURL

<<前ページ | ホーム | 次ページ>>