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【2025/05/05 16:57 】 |
太陽ケア
太陽ケア(たいようケア、男性、1975年11月18日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はマウナケア・モスマン (Maunakea Mossman)。全日本プロレス所属。ハワイ州ホノルル出身。身長185cm、体重108kg。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 ジュニアヘビー級時代
1.2 ヘビー級転向〜「太陽ケア」に改名。
1.3 武藤敬司との出会い
1.4 RO&D、みんなの太陽から暗黒の太陽へ
1.5 悲願のCC制覇、三冠王座奪取
1.6 低迷〜GURENTAI結成
1.7 超党派軍
2 人物
3 得意技
4 タイトル歴
5 入場テーマ曲
来歴 [編集]

ジュニアヘビー級時代 [編集]
高校時代はレスリングやアメリカンフットボールで活躍。
1994年6月、ハワイ在住のロード・ブレアーズ(当時PWF会長)を介し、ハワイを訪れていたジャイアント馬場に直訴し、全日本プロレスに入門した。1994年11月26日、本名のマウナケア・モスマンとして三重・津市体育館での志賀賢太郎戦でデビュー。シングル初勝利は1995年1月24日の志賀賢太郎戦。
1996年7月7日にはロブ・ヴァン・ダムと組みアジアタッグ王座に初挑戦した。
1997年8月22日には後楽園ホールで世界ジュニアヘビー級王座に初挑戦し、小川良成を破り、初戴冠を果たした。
ヘビー級転向〜「太陽ケア」に改名。 [編集]
1998年6月にヘビー級転向を目指すため、王座を返上した。
8月22日から始まった恒例の試練の七番勝負では、プロレス四天王には勝利できなかったものの、ウルフ・ホークフィールド、ジャイアント・キマラ、ジョニー・スミスには勝利し3勝4敗の好成績を残す。だがこの時期マッチメイク権を手にしていた三沢光晴に「体はブヨブヨで、オフになると道場に残らずにハワイに帰ってしまう」と酷評され、そのためかトップクラスにはほとんど絡めない時期が続く。
2000年の選手大量離脱時には全日本プロレスに残留した。8月20日には公募によりリングネームを本名の「マウナケア・モスマン」から「太陽ケア」に変更した。
2001年1月14日、ジョニー・スミスと組んで川田利明&渕正信組と世界タッグ王座決定戦を行い、これに勝利して第43代王者となった。
武藤敬司との出会い [編集]
1月28日に東京ドームで行われたジャイアント馬場三回忌追悼興行で武藤敬司と頭髪をかけて初対決し、敗れはしたもののお互いに認め合った両者は2月18日に両国でBATTを結成した。
3月3日には史上最年少で天龍源一郎の持つ三冠ヘビー級王座に初挑戦した。
10月22日に武藤敬司とのタッグで世界タッグ王座を奪取、10月28日に福岡国際センターで行われた初のIWGPタッグ王座とのダブルタイトル戦で藤波辰爾&西村修組に勝利、史上初の同時戴冠タッグとなる。また、年末の恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦でも優勝した。
2002年は小島聡とタッグを組み世界最強タッグ個人2連覇を達成するものの、右膝前十字靭帯断裂の重傷を負い、長期欠場を余儀なくされた。
RO&D、みんなの太陽から暗黒の太陽へ [編集]
2004年1月2日に復帰。また、TAKAみちのくからの勧誘を受け、外国人軍団RO&Dに参加。ヒールとなり、「みんなの太陽」から「暗黒の太陽」と呼ばれるようになった。
7月10日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会に武藤敬司と組んで参戦し、三沢光晴・小川良成組と対戦。自らがフォールを奪われたものの、三沢と武藤の初対戦ばかりが注目される中で健闘を見せた。かつてケアを酷評した三沢も、そのレベルアップぶりを認めた。
2005年1月16日、大阪府立体育会館でジャマールと組んで、棚橋、吉江組と世界タッグ王座決定戦を行い勝利し、第51代王座となった。
2月5日、日本武道館で行われたジャイアント馬場七回忌追悼興行では、ジャイアント馬場に敬意を表してリングネームを本名の「マウナケア・モスマン」に戻した。
悲願のCC制覇、三冠王座奪取 [編集]
2006年、チャンピオン・カーニバル2006にて諏訪魔を破り悲願の初優勝。
その勢いのまま7月3日、大田区体育館で小島聡を倒し三冠ヘビー級王座の第34代王者となる。外国人選手としては史上5人目の三冠王座栄冠となる。また試合後川田利明を第一挑戦者に指名し、「川田さん、俺が王道だ」と宣言した。
8月27日、両国国技館で初めての川田超えを達成し初防衛。試合後川田から「王道がどうのこうの言ってるけど王道を語れるのは馬場さんだけだ。俺と一緒でお前なりの王道をリングで刻んでいけ。頼んだぞ」と語りかけた。
9月3日、札幌メディアパーク・スピカでCCでは引き分けた鈴木みのるとの防衛戦にて王者陥落。
低迷〜GURENTAI結成 [編集]
2007年1月4日、東京ドームで全日代表としてIWGPヘビー級王座に挑戦したが新日本プロレスの棚橋弘至に敗れた。
2月17日、両国大会で川田利明と世界タッグ王座を奪取。
7月29日、金沢大会で小島聡の椅子攻撃を食らい、2112部上顎骨歯槽骨骨折、上唇裂傷、11歯亜脱臼で全治1か月の重傷を負った。
8月26日、両国大会で世界タッグ王座戦に強行出場したが、敗れた。
2008年3月1日、両国大会で川田と組み武藤&新日本・棚橋と対戦したが、敗れた。この試合で首を負傷した。
3月12日、後楽園大会でジョー・ドーリングと組み小島&TARU組と対戦したが、この試合で再び首を強打してしまい敗れた。試合後にTARUがケアに対してVOODOO-MURDERS入りへの勧誘をした。
チャンピオン・カーニバル2008では全敗し、TARUから再三VMへの勧誘を受けていたが、4月20日の開幕戦に答えを出すと発言。試合では、得意のTKO34thでブードゥーマスクを下したが、試合後の武藤との握手は拒否。その後、TARUが歩み寄ったがそれも拒否し、突然出てきた鈴木みのる、東京愚連隊との共闘を選択。GURENTAIを結成した。テーマ曲もボニー・タイラーの「Holding Out for a Hero」に変更した(ただし今までの「T・K・O」のテーマも併用している)。このテーマ曲を変更したことについて同じGURENTAIの鈴木みのるは「ほら、ケアのやる気がテーマ曲にも現れているだろ」と感想を述べ、その後GURENTAIの鈴木みのる、高山善廣のテーマ曲も「Holding Out for a Hero」をバックにしてそれぞれのテーマ曲の節(鈴木の場合「風になれー」高山の場合「アーッ(掛声)」)を所々で取り入れる新アレンジのテーマ曲が登場した。
それから波に乗り、みのると共に武藤、ドーリングの持つ世界タッグ王座への挑戦を表明。その査定試合として元アジアタッグ王者の佐々木健介、中嶋勝彦の親子タッグと激突しこれに勝利。世界タッグ王座挑戦が決定した。
そして6月28日、王者組を下し見事世界タッグ王者に君臨。自身6度目の世界タッグ王座獲得となった。
超党派軍 [編集]
2008年8月、当時諏訪魔の保持していた三冠ヘビー級王座に挑戦するも、60分時間切れ引き分けで王座獲得ならず。その後は鈴木とのタッグで着実に世界タッグ王座を防衛し続けていたが、2009年7月5日、武藤敬司&河野真幸との防衛線で勝利するも、左月状骨の背側脱臼及び手根間靭帯断裂により休場。およそ半年後の最強タッグで復帰するも優勝を逃し、翌年2010年の、武藤敬司&船木誠勝に破れ王座を手放す。
その後は、鈴木が2010年チャンピオン・カーニバルを連覇したことによりGURENTAIが解散。ケアも本隊へと戻って活動していたが、浜亮太を下して三冠ヘビー級王者に返り咲いた鈴木の呼びかけにより、船木、曙らと超党派軍を結成。7月4日、曙とのハワイアンタッグで世界タッグ王座戴冠。
人物 [編集]

2000年の選手大量離脱以降、全日本プロレスでジャイアント馬場の王道プロレスを受け継いでいるレスラーは太陽ケアのほかには渕正信くらいしかいない。そのため、「最後の王道」「最後の王道継承者」と言うニックネームが付けられている。
ジャイアント馬場を非常に尊敬している。大量離脱時に全日本プロレスに残るか否かの決断は、離脱するメンバーも残留するメンバーも仲間であると非常に悩んだが、ジャイアント馬場のおかげで今の自分があるとして残留する道を選んだ。
2006年のチャンピオン・カーニバル初優勝時には、大量離脱後にともに苦難を乗り越えてきた渕正信と抱き合って喜びを爆発させた。また三冠奪取時にはRO&Dのメンバー全員で歓喜を爆発させTAKAみちのくはケアの晴れ姿に涙を流していた。
かつてコーチだった小川良成とは未だに連絡を取り合うほど大変仲が良い。
あまりクローズアップされることはないがアジアタッグ以外の全日本のタイトル全て獲得しており、獲得すれば史上初のグランドスラムを達成となる予定。さらに22歳で世界ジュニア王座、26歳で世界タッグ王者にどちらも史上最年少(当時)で輝いている。
現在までに世界タッグ王座を6度腰に巻いているが、そのいずれも異なるタッグパートナーでの戴冠である。また、3度制覇している世界最強タッグ決定リーグ戦についても同様である。
全日本の所属選手であるが日本には定住しておらず、他の外国人レスラー同様にオフシーズンはハワイの自宅に帰っている。日本語は話せるがコメントやマイクアピールもほとんど英語である。
得意技 [編集]

独特の間と緩急の差をつけたキレのある動きが特徴。ヘビー級に転向してからは、ジュニア時代から得意としていた鋭い蹴りや華麗な飛び技に加えて力強さやエグさを兼ね備える技も使用出した。
TKO(ティー・ケー・オー)"太陽ケアオリジナル"
ファイヤーマンズキャリーの要領で担いだ相手の足を跳ね上げ自分の前、もしくは横サイドにみちのくドライバーIIのように開脚ジャンプした自身の股の間に落としていく。ハリケーンドライバーとほぼ同型。以前はメインのフィニッシュムーブだったが、後述のTKO34thの開発により使用回数がやや減っている。
TKO34th(ティー・ケー・オー・サーティーフォー・ス)"太陽ケアオリジナル (第)34代三冠王者(仕様)"
2006年に川田との三冠ヘビー級王座防衛戦に向けてTKOを発展させた。肩に担いだ相手の足を跳ね上げ、相手の頭を抱え込みながらエメラルド・フロウジョンのように横サイドに落としていく。現在のところ最上位フィニッシュムーブ。
ハワイアン・スマッシャー
ファイヤーマンズキャリーの要領で相手を担ぎ上げ、その状態からダイヤモンド・カッターを決める技。マーク・メロのTKO(ただし太陽ケアが使用する同名技とは形式が異なる)と同型。以前はフィニッシュムーブだったものの、最近はほとんどピンフォールが取れない。以前はハワイアン・クラッシャーという名前だったが、本人がインタビューでその名称は誤使用であることを指摘した。また、開発当初はスタナーの形で決めていたが尾骶骨を骨折したことがあり徐々にダイヤモンド・カッターの形に変更されていった。
H5O(ハワイアン・ファイブ・アウト)
アルゼンチン・バックブリーカーの要領で担ぎ上げた状態から、ダイヤモンド・カッターを掛ける。リバース式のハワイアンスマッシャー。中西学のヘラクレスカッターとほぼ同じ型。三冠ヘビー級王座を獲る決め手にもなった。
波乗りスープレックス
コブラクラッチから後ろに投げるスープレックス技。ジョニー・エースのコブラクラッチ・スープレックスと同じ技で、彼から受け継いだ。
シットダウン・パワーボム
相手を持ち上げてから少しタメを作って落とす。
サンケアキック
左ミドルキック→右ローキック→延髄への左ジャンピングヒールキックからなるコンビネーションキック。相手を3度蹴ることから、数字の3と太陽(SUN)ケアを掛けて命名した。
ゼロ戦キック
若手時代の得意技。
ランニング・ニー・バット
RO&D加入初期のフィニッシュムーブ。ニーブレス(怪我した膝を防護するための防具)を着けた膝で相手の顔面を蹴り込む。ニープレスには細工をしていたとも言われていた。
ラリアット
相手を対角線に振っておいての串刺しジャンピング・エルボーから流れるようにロープに走り込み仕掛けるムーブが特徴的。尻餅状態の相手にロープの反動を利用して浴びせ倒すように放ったこともある。
ハリケーンスパイク
勢いよく相手に飛びついてから決めるスウィング式DDT。若手時代のフィニッシュムーブ。
ハリケーンクランチ
バックドロップの要領で相手を担ぎ上げ、相手の体を離すと同時に自分の体を反転させ、相手の胴を片腕で抱え込んで、そのままマットへ倒れこみ、相手を背面からマットへ叩き付ける。最近ではほとんど使用しない。
スクールボーイ(横入り回転エビ固め)
ケアの丸め込み技のひとつ。この技で健介に勝利したこともある。
フランケンシュタイナー
ジャンプし相手の頭に足を挟み一回転し丸め込む技。雪崩式も仕様する。最近は雪崩式の際にR・O・D・ブイヤーと叫んでから放つ。
タイガースクリュー
腕へのドラゴンスクリュー。
タイトル歴 [編集]

全日本プロレス
三冠ヘビー級王座 : 1回(第34代)
世界タッグ王座 : 7回(第43・45・47・51・52・55・57代)
パートナーはジョニー・スミス→武藤敬司→小島聡→ジャマール→川田利明→鈴木みのる→曙。
世界ジュニアヘビー級王座 : 1回(第18代)
ヘビー級転向のため返上。
新日本プロレス
IWGPタッグ王座 : 1回(第42代)
パートナーは武藤敬司。武藤敬司の新日本プロレス退団により返上
その他
HCWケカウリキ・タッグ王座
パートナーはジャマール
プロレス大賞
2008年度最優秀タッグチーム賞(&鈴木みのる)
入場テーマ曲 [編集]

Like Like Hwy(Pacific Coast Jam、作曲:角松敏生)
SUN(鈴木修)
Rainbow
TKO
HOLD OUT SUN(鈴木修)
Sleep Now in the Fire(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)
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【2010/12/28 19:34 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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