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【2025/05/06 08:20 】 |
バグジー・マグロー
バグジー・マグロー(Bugsy McGraw、1945年 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ノースカロライナ州シャーロット出身。本名はマイケル・デービス(Michael Davis)。現役選手時代は巨漢のラフ&パワーファイターとして活躍した。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 デビュー / 1970年代
1.2 1980年代 / 引退後
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]

デビュー / 1970年代 [編集]
1960年代後半に黒人レスラーのトム・ジョーンズのトレーニングを受けてデビュー。五大湖エリアから南部のテキサスやフロリダ、さらにはニュージーランドなどNWAの各テリトリーを転戦し、リングネームを様々に変えてキャリアを積む。フロリダでは覆面を被り、マスクマンのザ・ビッグO(The Big "O")を名乗ったこともあった[1][2]。1972年3月にはマイティ・ブルータス(Mighty Brutus)の名前で日本プロレスに初来日している。
1973年からはザ・ブルート(The Brute)に改名してカナダのバンクーバー地区に参戦、3月にジン・キニスキーからNWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座を奪取した[3]。日本にもザ・ブルートとして1974年3月に国際プロレスに来日している。その後はアメリカ西海岸のサンフランシスコ地区に進出、1975年1月にはピーター・メイビアを破り同地区認定のUSヘビー級王座を獲得した[4]。
1975年の下期よりバグジー・マグロー(Bugsy McGraw)のリングネームでニューヨークのWWWF(現・WWE)に登場。キャプテン・ルー・アルバーノをマネージャーに、同年9月6日にMSGでブルーノ・サンマルチノとも対戦した[5]。WWWFには中堅どころのヒールとして1977年まで参戦し、ゴリラ・モンスーン、ヘイスタック・カルホーン、チーフ・ジェイ・ストロンボーなどのトップスターと対戦。ザ・ブラックジャックス(ブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザ)、アーニー・ラッド、スーパースター・ビリー・グラハムら大物ヒールのパートナーにも起用された。
このWWWF参戦でスキンヘッドの巨漢ヒールのイメージが浸透し、リングネームも「バグジー・マグロー」で定着(なお、"Bugsy" とは「ばい菌」「害虫」などを指す蔑称である)。1978年4月には新日本プロレスの第1回MSGシリーズに参加。予選トーナメント1回戦で山本小鉄、2回戦でトニー・ガレアを破り決勝リーグに進出し、アントニオ猪木やアンドレ・ザ・ジャイアントと公式戦で対戦した。
1980年代 / 引退後 [編集]
1970年代末からはNWA圏のフロリダ地区(エディ・グラハムが主宰するCWF)を主戦場に[6]、悪徳マネージャーのサー・オリバー・フンパーディンクのファミリーに加入。"バッド・バッド" レロイ・ブラウンとの巨漢コンビでダスティ・ローデスやジャック・ブリスコと流血戦を演じたが、1980年にフンパーディンクと仲間割れしてベビーフェイスに転向。アンコ型の巨体に禿頭の髭面という正義のヒーローには程遠い風貌ながら、そのコミカルで陽気なキャラクターが子供達に支持され、ローデスに次ぐ同地区の人気者となる。以降もフロリダに定着し、イワン・コロフ、ニコライ・ボルコフ、バロン・フォン・ラシク、マサ・サイトー、ディック・スレーター、ザ・ファンクスらヒール勢と抗争を展開した。フロリダでは1981年3月5日と4月15日にハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦し、引き分けに持ち込んでいる[7]。
1981年5月にはジャック・ブリスコの斡旋で全日本プロレスに来日し、再びヒールターンしてザ・シークのタッグパートナーを務めた。帰国後もヒールのポジションでテネシー州メンフィスのCWAに登場[8]。ジミー・ハートをマネージャーにジェリー・ローラーやビル・ダンディーと対戦し、スティーブ・カーンとNWAミッドアメリカ・ヘビー級王座を争った[9]。同年の末よりテキサス州ダラスのWCCWに参戦し、ザ・グレート・カブキを破ってNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取[10]。翌1982年には若手時代のキングコング・バンディをパートナーにNWAアメリカン・タッグ王座も獲得している[11]。また、1982年6月4日にテキサス・スタジアムで行われたフリッツ・フォン・エリック引退興行ではアンドレ・ザ・ジャイアントとのシングルマッチが組まれた[12]。
その後はベビーフェイスに戻り、1983年もNWAの主要テリトリーを転戦。ジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区ではルーファス・ジョーンズや "ブギウギ" ジミー・バリアントとタッグを組み、スターケードなどのビッグイベントにも出場した(バリアントとのタッグは、アメリカのプロレス業界誌『レスリング・オブザーバー』の「ワースト・タッグチーム」にも選ばれている)。
1984年3月には全日本プロレスに再来日。開幕戦でスタン・ハンセンの試合に乱入して喧嘩を売り、当時ハンセンが保持していたPWFヘビー級王座に挑戦するというアングルが組まれた。なお、ハンセンとマグローはジム・バーネット主宰のNWAジョージア地区でタッグを組んでおり、1983年のクリスマスにアトランタのオムニ・コロシアムにおいてロード・ウォリアーズと対戦したことがある[13]。
1984年夏からは古巣のフロリダに復帰し、ワフー・マクダニエルやブラックジャック・マリガンとのベテラン・コンビで活躍。1985年にはミッシング・リンクと抗争した他、アブドーラ・ザ・ブッチャー、テリー・ゴディ、リック・ルードなどと対戦している[6]。その後、WWFの全米進出が始まってNWAの各テリトリーが形骸化したこともあり、1980年代の後半に引退した。
引退後はセントラル・フロリダの医療機関で看護師の業務に就いている[1]。近年はフロリダで行われるオールドタイマーのリユニオン・イベントにも参加しており、2005年1月29日の『レッスル・リユニオン』にはグレッグ・バレンタイン、ジェイク・ロバーツ、チャボ・ゲレロ・シニアらと共にバトルロイヤルに出場した(当日はダスティ・ローデス、ハーリー・レイス、ザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ロディ・パイパー、ジミー・スヌーカ、カウボーイ・ボブ・オートン、マスクド・スーパースターなども参加し、エキシビション・マッチを行っている)[14]。
2009年は、6月18日収録(7月2日放送)のTNA『iMPACT!』にミック・フォーリーのセキュリティとして登場した[15]。同年10月1日には、WWEの下部団体FCWのハウス・ショーにも顔を見せている。
得意技 [編集]

エルボー・ドロップ
ダイビング・ボディ・プレス
ベアハッグ
獲得タイトル [編集]

NWAオールスター・レスリング
NWAカナディアン・タッグ王座:3回(w / マイク・ウェブスター、ジン・キニスキー、ミスターX)
NWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座:1回
NWAサンフランシスコ
NWA USヘビー級王座(サンフランシスコ版):1回
NWAトライステート
NWA北米ヘビー級王座(トライステート版):1回
NWA USタッグ王座(トライステート版):1回(w / ドクターX)
NWAオーストラリア
NWAオーストラ・アジアン・タッグ王座:2回(w / ブッチャー・ブラニガン、マリオ・ミラノ)
CWF
NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回
NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ソー・ザ・ヴァイキング)
NWAフロリダ・TV王座:3回
NWAブラスナックル王座(フロリダ版):1回
NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回(w / ダスティ・ローデス)
CWA
NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:1回
WCCW
NWAアメリカン・ヘビー級王座:1回
NWAアメリカン・タッグ王座:1回(w / キングコング・バンディ)
NWA世界タッグ王座(テキサス版):1回(w / ビル・アーウィン)
NWAブラスナックル王座(テキサス版):1回
WCCW TV王座:1回
MACW
NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / ルーファス・ジョーンズ)
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【2011/01/05 02:11 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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