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【2025/05/06 00:45 】 |
ドン荒川
ドン荒川(ドンあらかわ、1945年3月6日 - )は、日本のプロレスラー。本名は荒川 真(あらかわ まこと)。鹿児島県出水市出身。
来歴 [編集]

学生時代は柔道に打ち込む。出水学園出水中央高等学校卒業後上京。レスリングの試合に出場し、ドロップキックを放って反則負けとなるという、後のトンパチ伝説につながるエピソードを残す。
1972年7月、新日本プロレスに入門。9月19日、リトル浜田(後のグラン浜田)戦でデビュー。ともに前座戦線にいた栗栖正伸とは同郷で体格も似ていたことから激しくいがみ合い、両者のシングルマッチは前座試合とは思えないほど熾烈を極めたため、『鹿児島選手権』と称された。
キャリアを重ねるにつれ、ストロングスタイルと呼ばれるシリアスな戦いを信条としていた新日本の中で唯一『ひょうきんプロレス』を展開(この呼び名は当時の人気番組「オレたちひょうきん族」のコーナー「ひょうきんプロレスアワー」に由来。余談だが同コーナーには荒川も出演した)。カンチョー攻撃などで笑いを取る。また体格やリング上の(見た目の)スタイルが似ていたことから、『前座の力道山』と呼ばれた。テレビ番組で力道山が扱われ、再現ドラマで力道山役を演じたこともある。
1979年プエルトリコへ初遠征。木村健悟とのコンビでWWCカリビアンタッグ王座を奪取。なお、同遠征での戦績は自己申告であるが46戦45勝1敗で、負けたのは「熊」相手だった。帰国後はしばらくまた前座を沸かせるが、UWF、維新軍団、カルガリーハリケーンズと離脱が相次いで薄くなった選手層を補うためにジュニア戦線に参戦し、ザ・コブラらと戦う。
1989年3月に1度一線から退いた(本人曰く新日を円満退社しただけで、引退ではないとの事)が、1990年SWSの旗揚げに参加して現役復帰。SWS崩壊後も一人メガネスーパー社員としてSWS所属を名乗り、藤原組などに参戦する。1996年、藤原喜明とともに全日本プロレスに初参戦、6人タッグながらジャイアント馬場との対戦が実現した。1997年には全日本プロレスの25周年(前夜祭)でジャイアント馬場組として参戦。2006年はビッグマウス・ラウドなどへ参戦している。
2007年5月、新日本プロレス創立35周年の節目となる後楽園ホール2連戦で、18年ぶりに古巣マットに登場。いずれも第1試合で若手をコミカルなファイトで下し、健在ぶりをアピールした。
エピソード [編集]

すぐ人と仲良くなれる性質を生かし、多彩なタニマチ付き合いを誇った。金がなくても全国各地でうまいものが食えたと豪語しているほど。メガネスーパー社長(当時)田中八郎との付き合いが、後のSWS設立へとつながった。また長嶋茂雄をSWSの会場に招待したこともある。知合ったキッカケは荒川曰く「多摩川沿いをジョギングしていて、よく会ったんで顔見知りになったから」。(なお新日本在籍当時から定期的に、横浜中華街にある、長嶋が名付け親の店「天外天」で会食しており、新日本の若手達を長嶋に紹介していた。)
前座クラスの試合ばかりだったのにもかかわらず、新日本全員が集まる席では、アントニオ猪木、坂口征二の次の席にいたという。また猪木に「今日は二日酔いなんです」と申し出ると「じゃあ休んでいい」といわれる程の特別待遇だった。荒川が豊富なタニマチを持っていたのがものを言ったのかもしれない。
永源遙との大会場限定で行われたコミカルなシングルマッチは、新日本ファンのみならず、当時社長であったアントニオ猪木自身も楽しみにしていたと言う位であった。
橋本真也は生前、荒川に「人生を教えてもらったよ」と語るほど師事していた。荒川の酒席における無茶ぶりは有名で、橋本にちらし寿司3杯食わせてから巻き寿司を食わせたり、生肉を食わせたり、尋常でない量の酒を飲ませたりしていた。またタニマチの前で生意気な口をきいた橋本の手の甲に割り箸を突き刺したなどのエピソードもある。とはいえ荒川が橋本のことをかわいがっていたのは確かで、地元鹿児島の酒造会社神酒造に「破壊王」という名の焼酎を造らせたりしている。
ホノルルマラソン完走経験あり(ホノルルマラソンでのパートナーは永源遙)。
歌のうまさに定評があったらしい。1980年2月、札幌での2日間興行に合わせて新日本勢がHTBTVの雪祭りイベントに参加した際、「〆にレスラーの方の歌を」というTV局側の要望があり、木村健悟と荒川が指名された事がある。(が、猪木がインタビューでブラジルに賭ける夢を語りすぎてしまい、時間切れとなって曲を披露する事は出来なかった。)
1982年には、西田敏行主演の日本テレビ系ドラマ池中玄太80キロに大京グラフの編集部員「荒木」役としてレギュラー出演。ニックネームは「土佐犬」で、暴れる玄太(西田)を力尽くで抑えたり、日本酒1升を1晩で飲むなど、本人のキャラがそのまま反映されていた。
1997年、全日本プロレスのファン感謝デー(9月15日)に参戦。ジャイアント馬場と永源遙と組ませてもらったが、あまりにもプロレスのレベルが低いために「あれで20年以上もやってきたのか?」と馬場が呆れてしまった。(試合後、目をあわす事もほとんどなかった。)※ビデオ「旗揚げ25周年王道前夜祭」に収録。
得意技 [編集]

ジャーマン・スープレックス・ホールド
パイルドライバー - 相手のタイツのすそを引っ張り上げ、Tバック状にして観客のさらし者にするのがお約束
アッパー - 前に踏み込みつつ、なぜか左拳を突き上げながら、右拳で相手の顎を打つ。形勢逆転を狙うときによく使う。
カンチョー攻撃
ローリングキョンシーアタック - 相手をコーナーに飛ばし、走りこんで前転してからジャンプ、前に突き出した両手で喉を突く。
看護婦固め - 監獄固めのパロディ技
市役所固め
サラ金固め - 首を固める技。名前の由来は「(借金で)首が回らなくなるから」
年金固め
その他奇天烈な名前の固め技多数。
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【2010/12/31 01:07 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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